1993年
自然道館・館長・時末義昭氏(師匠)に出会う。
日向裕一(13歳)のときには他校・学校長であり、
20歳のときに自然道館にて書生として修業で学ぶ。
2000年・自然道館・修業・内容。
自然道館・真冬の修行・人間徳育コース修了。
師匠・時末義昭先生の自然道館にて書生として
仏教基礎、一週間断食、瞑想、陰陽学入門、社会奉仕、
バウム分析ビデオ講座、東洋医学基礎ビデオ講座、毎日散歩4時間以上、
瞑想ビデオ講座、カセットテープ講演講座、マクロビオティック。
2006年
プロレスラー・西村修氏とインドで出会う。
日向裕一のコンディショニング・コーチとして
アメリカへ武者修行に行き、二人三脚の合宿をした。
一年間で4回の渡米(フロリダ州・ジョージア州・ケンタッキー州・ニューヨーク州)
世界最大のメジャー団体のWWE・バックステージを視察して、
WWE会長ビンス・マクマホン氏、シェン・マクマホン氏に出会って、
リックフレアー氏、トリプルH氏など多くのスーパースターに挨拶と握手して出会った。
また、日向裕一が全国出版した著書「綺麗なサクラを咲かそうよ」をご推薦して頂いた。
文芸雑誌ヒナタ文学にもご執筆を頂いた。
今現在でもインドからの出会いを大切にして「永遠の友情」の絆である。
亀井静香氏(衆議院議員)、石原慎太郎氏(東京都都知事)、
佐山聡氏(初代タイガーマスク)、三遊亭円楽氏(六代目)など多くの応援もあり、
東京都文京区議会議員に初当選、今現在は四期目である。
西村修氏は、現役プロレスラーでもあり、東京都文京区議会議員でもある。
要職を歴任した(元)衆議院議員・亀井静香氏と「至誠無我の会」を結成。
2006年
プロレスコーチのカールゴッチ氏とアメリカ・フロリダ州タンパにて一年間で4回の渡米で5回会った。
直接、カールゴッチ氏から助言とご指導をして頂いた。
印象的な言葉として「男として誇りを持て、プライドを持て」である。
そして、お金とか物質ではなく、「真の誇りある男になれ!!!」と言って頂いた。
西村修氏の紹介でカールゴッチ氏、ドリーファンク・ジュニア氏など多くのレジェンドとアメリカで出会う。
日本人で最後にカールゴッチ氏と出会ったのは、西村修氏と日向裕一である。
カールゴッチ氏の御墓は、西村修氏の尽力によって、亀井静香氏、アントニオ猪木氏が建立した。
音楽評論家、ラジオのDJ、そして作詞家として、あらゆるメディアで活躍。
早くからエルヴィス・プレスリーやビートルズを日本に広める。
マイケル・ジャクソンなど、時代を飾ったスーパースターとの対談をはじめ、
これまでに500組以上のアーティストとのインタビューを通じて、
その交流を深めています。まさに、国内外の音楽の歴史を知り尽くした「賢人」。
アン・ルイス、藤井フミヤ、中森明菜、徳永英明などの作詞、
マライア・キャリー、マイケル・ジャクソンなどの訳詞を手掛け、
また作詞家として代表的なヒット曲には『涙の太陽』、『ランナウェイ』、
『ハリケーン』、『センチメンタル・ジャーニー』、『ロング・バージョン』、
『六本木心中』、『あゝ無情』、『恋におちて』などがある。
「FNS歌謡祭音楽大賞最優秀作詞賞」、「JASRAC賞」、
「オリコン トップディスク賞作詞賞」など、
各レコード会社のプラチナ・ディスク、ゴールド・ディスクを数多く受賞。
またディズニー映画「美女と野獣」「アラジン」
「ポカホンタス」「ターザン」などの日本語詞も手がけている。
世界を代表とする、世界の湯川れい子氏である。
文芸雑誌ヒナタ文学にもご執筆して頂き、直筆の原稿を古民家ヒナタ文学堂に展示。
小野孝司氏・プロフィール
愛媛県出身。愛媛大学卒業後、1981年上京。
ジャズピアニスト徳山陽氏に師事し,同時に都内レストラン、ホテルなどでピアノトリオで演奏活動を始める。
その後、美空ひばり、研ナオコ、
ジョーン・ シェパード、マルシア等のバックバンドでキーボードを担当、全国ツアーに参加。
2001年にニューヨークで聴いたHard Bop Jazzに強く感銘を受け、ライブ活動を再開。
現在は優れたジャズピアニストとして日本各地のライブスポットで活躍中。
ニューヨークで活躍中のドラマー田井中福司、テナーサックス奏者 Bob Rockwell、
中村誠一と共演し好評を得る。
Thelonious Monk, Bud Powell を尊敬し、
好きなピアニストはBarry Harris, Wynton Kelly, Tommy Flanagan, Sonny Clark !
2005年3月に初のリーダー作「Deep Blue」をリリース。
2013年7月に2作目「Happy Hour」をマシュマロレコードよりリリース。
師匠は、天の川一歩氏、浅香光代氏、世志凡太氏などがいる。
みどり〇みき氏の代表作、コロムビアレコードより『神様は泣いた』はヒット曲。
みどり〇みき氏は、演歌歌手であり、ラジオ・パーソナリティ。
日向裕一もラジオのレギュラー出演させて頂いていた。
ラジオには、数多くの著名人も出演。
みどり〇みき氏は、心優しく、愛に満ちあふれた人柄である。
日向裕一が主催「ヒナタ文学堂・桜祭り」にもゲスト出演して頂きていた。
文芸雑誌ヒナタ文学にもご執筆を頂いた。
みどり〇みき氏・プロフィール
平成元年1月/作詞作曲家・天の川一歩氏に師事。
ダイニチ産業株式会社・天の川一歩プロダクションに所属。
平成8年/デビュー。『夫婦鶴』『愛かぎりなく』ダイニチレコード。
日本クラウンレコードより『夫婦鶴』『愛かぎりなく』。
コロムビアレコードより『神様は泣いた』『二人の恋港』。
平成13年8月/『神様は泣いた』カラオケ第一興商に入る。日本ビクター孫悟空カラオケに入る。
平成14年11月/デビュー曲『夫婦鶴』第一興商に入る。
2008年
日向裕一がネクストリーダー養成学校NPO法人一新塾に入塾。
根っこ力、未知なる可能性を求めて代表理事・森嶋伸夫氏と出会う。
入塾して学び、22期卒塾したときに日向裕一は、明確な夢と志を抱いた。
森嶋伸夫氏の根っこ力に共感して、多くの仲間の存在を知り気づいた。
当時、日向裕一は完治しない心の病で悩んでいたが、
一人で生きていない、孤独ではないと心から強く感じた。
日向裕一は、在野の詩人として志と信念で生きてゆくことを決意した。
その後も森嶋伸夫氏とつながりを持ち、助言を頂いている。
現在の日向裕一は、古里・大崎上島で「橋を架けない島」を提言した。
楽園プロジェクトリーダーとして仕事と地域活動をしている。
NPO法人武士道協会の副理事長・事務局長・本多百代氏と出会う。
日向裕一が本多百代氏の講義に感銘を受けた一人でもある。
今現在でも本多百代氏から武士道を学び、
文芸雑誌ヒナタ文学にもご執筆して頂いていた。
2011年に現在のヒナタ文学堂で「大和心・生き方教室」を開催。
講師・本多百代氏(NPO法人武士道協会・副理事長・事務局長)
講師・川路妙氏(ギリシャ・ローマ美術館・理事長)
本多百代氏の携帯電話に、
衆議院議員・安倍晋三氏から連絡があり、
本多百代氏が大崎上島のことをお話されました。
プロフィール
NPO法人武士道協会・副理事長・事務局長、
株式会社八光取締役会長、五光設計株式会社取締役、
経歴…中日新聞名古屋本社中日研修センターで8年間、
中日新聞東京本社企画開発室で4年間、
組織開発(OD) プロデューサー・研修講師として勤務し、
組織立ち上げ、営業(テレアポ・訪問)教育と人材育成プログラムの開発を担う。
2004年人材育成の有限会社ラインエイジを創設し代表取締役に就任、
2014年株式会社に移行し八光と社名変更して取締役会長に就任。
大学特別講師(中央大学、大妻女子大学、大東文化大学etc)、
教育委員会、青年商工会、商工会議所青年部、JU青年部会、
神奈川県議会、農協、ロータリークラブ、中小企業同友会、倫理法人会、
異業種交流会、全会津文化祭会津エンジン、
中日新聞社、朝日新聞社、その他民間企業で講演及びセミナー講師として活動、
武士道協会人間力向上セミナー講師、
武士道学校講師、さむらい塾(子供教室)講師、他多数。
著書…「これで完璧人材育成白書」酒寄ユリヤ著~ペンネーム~
第10代-文部科学省副大臣・(元)衆議院議員・小野晋也氏と出会う。
日向裕一が小野晋也氏の講義をインターネットで聴いて心から涙を流し、
東京で開催されたNPO法人武士道協会・新年会のときに行動力で出会う。
初めて出会ったときは、現役の文部科学省副大臣。
今でも尊敬する人であり、若き日の日向裕一が志を持てたキーパーソンでもある。
広島県・宮島の最古1200年の伝統文化歴史、
大本山-大聖院・第77代・座主・吉田正裕氏とのご縁。
今現在、日本一の格式がある天皇家から継承されている、
「総本山-仁和寺・執行役員」、「総本山-仁和寺・総長・座主」に就任。
日向裕一の人生に最も大きな存在であり、
吉田正裕氏から日向裕一(28歳)のときにご推薦して頂います。
その後、文芸雑誌ヒナタ文学にも毎号・ご執筆して頂いていた。
文芸雑誌ヒナタ文学1号からも応援をして頂き、
大本山-大聖院のホームページと相互リンクもして頂いている。
2006年
来日(大本山-大聖院)された14世ダライ・ラマ法王の講演会と法話会に日向裕一も出席した。
14世ダライ・ラマ法王「弥山開創1200年祭講演会」出席
14世ダライ・ラマ法王「前行法話会」出席
14世ダライ・ラマ法王からの「良い種を蒔くことは、
良い原因と良い結果を結ぶ。良い種を蒔き続けて行きなさい」のお言葉に
感銘を受けた日向裕一は、文芸雑誌ヒナタ文学の種蒔き(配布)を継続する決意しました。
(元)財務大臣・塩川正十郎氏からNPO法人武士道協会・特別協賛委員に認定して頂いた。
日向裕一(29歳)のときに認定して頂き、平成22年に委員会が発足して5年間の活動をした。
小泉内閣・発足時より財務相を務めた要職を歴任した(元)衆議院議員。
「塩爺」の愛称。
2010年・PHP研究所・役員の西尾晴夫氏とNPO法人武士道協会の会議で出会う。
会場・京都・PHP研究所にて初めて出会ったときの印象は、温厚で心優しく人情ある人。
PHP研究所・勇退後も西尾晴夫氏とのつながりを持ち、日向裕一も多くのことを学ぶ。
文芸雑誌ヒナタ文学にもご執筆を頂いた。
2015年・天然肉体詩人・藤條虫丸氏と大崎上島で出会う。
屋久島と大崎上島の交流イベントで藤條虫丸氏のパフォーマンスを見て感激感動した。
日向裕一は、世の中に、すごいエネルギー・波動を感じられる詩人に出会い驚きもあった。
藤條虫丸氏は、世界各国を巡り、世界の詩人として様々な表現でパフォーマンスをしている。
また、藤條虫丸氏の仲間には、天皇陛下から勲章を受章した詩人もいる。
日向裕一も詩人の一人として、可能性の広がりを無限大に感じた出会いである。
画家・高橋寿実子氏には、ヒナタ文学の普及部長を務めて頂いた。
日向裕一は、高橋寿実子氏とのご縁によって人生の扉を開けた。
大きな支えであり、日向裕一の良き理解者の一人でもある。
音楽・芸術などのつながりを持てたのは、高橋寿実子氏の力でもある。
文芸雑誌ヒナタ文学に絵も提供して頂いていた。
広島大学医学部卒業
浜中皮ふ科クリニック・院長・理事長
乳腺疾患患者の会・のぞみの会・会長
NPO法人がん患者団体支援機構・理事長
リレーフォーライフ広島・実行委員長
文芸雑誌ヒナタ文学にもご執筆を頂いた。
音楽・映像のプロデューサーなど幅広い活動をしていた。
布施晴朗氏との出会いによって日向裕一は、大きく飛躍できている。
人生と心の支えでもあり、日向裕一をプロデュースしていた一人。
布施晴朗氏は、地球観・広い世界観で活動していた。
世界に多くの人脈があり、日向裕一も多くの人と出会う。
布施晴朗氏は、「ヒナタパパ」としても家族のような存在だった。
文芸雑誌ヒナタ文学の顧問としても助言を頂いていた。
大崎上島・出身の作家・穂高健一氏。
著書「二十歳の炎」「燃える山脈」などの歴史小説の代表作がある。
穂高健一氏の著書「燃える山脈」は、
要職を歴任した(元)衆議院議員・谷垣禎一氏からのご推薦して頂いている。
ヒナタ文学にも大崎上島に関する思い出をご執筆して頂いている。
2014年・文芸雑誌ヒナタ文学9号「心の島」
2018年・文芸雑誌ヒナタ文学11号「魚屋の健ちゃん」
2016年
日向裕一が主催で穂高健一氏の講演会を古里・大崎上島で開催した。
ヒナタ文学・推薦者
京都大学大学院経済学研究科経済システム分析専攻博士課程単位取得退学
博士(経済学)
文芸雑誌ヒナタ文学にもご執筆を頂いた。
株式会社brain代表取締役-会長・松村俊氏と出会う。
デザイナーの松村俊氏に
古民家ヒナタ文学堂の「のぼり」をデザインをして頂いた。
日向裕一も松村俊氏と出会い、人生のアドバイスも頂いている。
独自の世界観での助言は、松村俊氏の「真の男と魂」にある。
日向裕一のライフ・デザイナーのような大きな存在である。
文芸雑誌ヒナタ文学にもご執筆を頂いた。
プロフィール
山口県下関市出身。株式会社brain代表取締役-会長。
デザイニスト。知的・美的創造をコンセプトにグラフィックデザイン全般をはじめ造形デザイン、
意匠設計デザイン、商業施設開発プロデュース、
構想・計画までデザインを活用した経営戦略デザイン・マネージメント、総合デザイン、コンサルティング、
中国青島政府要請を受けての都市計画をプロデュースなど、その領域は広いマルチデザイニスト。
希代の戦略コンセプターにして常に業界最前線で創造性の意義とデザインの有用性を実践立 証。
山口県下、唯一のデザイン団体「(社)山口県デザイン協会」創設寄与し、14年間会長職 歴任。
社団法人化への移行などの基礎を築き後進にその道を委ね勇退。
その他、数々の故郷づくりに貢献し、現在は福岡にて活動中。
2015年
世界の建築家・デザイナーの鈴木エドワード氏と出会う。
日向裕一が文芸雑誌ヒナタ文学のインタビュー取材でつながりを持ち、
鈴木エドワード氏の世界観と宇宙哲学に感銘を受ける。
デザインは「詩」であり、
宇宙は「愛」であるの言葉に日向裕一も共感した。
数々の賞を受賞している鈴木エドワード氏との出会いは、
日向裕一の人生観を明確にした。
プロフィール
ノートルダム大学・卒業(建築学士)
ハーバード大学大学院・卒業(建築学修士)
(授業半分をMIT-マサチューセッツ工科大学で受ける)
グッドデザイン賞など国内外の数多くの賞を受賞している。
文部科学省が設立許可しました。現在の行政庁は内閣府。
公益財団法人五井平和財団で機関誌「平和の創造」の編集長を務めた。
この財団は、ユネスコ(国際連合教育文化機関)と日本で初の公式関係である。
国連経済社会理事会「特殊協議資格」有するNGO。
五井平和財団は、国連との協力関係でもある。
また、五井平和財団の事業の一つとして毎年、五井平和賞がある。
五井平和賞の受賞者には、ビル・ゲイツ氏などの世界を代表とする人物が多くいる。
五井平和財団の機関誌で文芸雑誌ヒナタ文学を紹介して頂いた。
出口隆之氏は、文芸雑誌ヒナタ文学の推薦者の一人であり、
文芸雑誌ヒナタ文学に応援の言葉をご執筆して頂いた。
プロフィール
五井平和財団・機関誌・編集長
業務ディレクター
五井平和賞・推薦人
筑波大学・物理学科卒業
高エネルギー加速器研究機構(文部科学省)・専門技師
名古屋大学シンクロトロン光研究センター・専門技師
名古屋大学・宇宙地球環境研究所・専門技師
NPO法人・数学-科学技術推進協会・副理事長
アメリカ・ユタ州・火星砂漠研究基地・研究員
文芸雑誌ヒナタ文学・リエゾン
文芸雑誌ヒナタ文学・推薦者
文芸雑誌ヒナタ文学にもご執筆を頂いた。
格闘家としては、ヨーロッパ選手権やアメリカ大会に出場。
おやじバトルグランプリ1位の実績と実力がある。
異種格闘技戦で国体のボクシング選手と対戦して
打撃を受けず数秒で倒した。
柔術道場トライフォース終身名誉会員。